菅原氏と平将門

最近になって気づいた新たな発見がある。

菅原道真と平将門である。

この二人は微妙なところでつながっているのだ。

13年ほど前に私は仕事を失い、やむなく東京に出てきたわけだが、それから不思議な出会いが数多くあった。

それは菅原さんとの出会いだった。

東京に出てきて、菅原さんとの不思議な出会いが続いた。
それは今でも続いている。

20代の菅原という青年が私を父のように慕っているのだ。それはいま現在の会社の後輩である。

なぜ?

バイク便を仕事にしていたころも、千葉の男だが菅原が私に近づいてきた。

私は彼といて楽しかったので、仕事上で危ないときもいつもフォローしていた。

彼も最初にあって、初対面なのに、まるで親族にでも再会したような安らぎを覚えた。
彼が私といるときも同様に安らぎを覚えるようである。
不思議であった。

私の血縁皇祖は宇多天皇である。

これは木曾時代に自動書記によって出てきた答えである。

私は霊界に行けるが、それと同時に現実世界において、霊界の意志を伝えられる方法がある。

それは自動書記であった。

それによって私の家族は、血縁皇祖宇多天皇ということを知らされた。

霊界はそのつど、目的に合わせて、いろんな手法を用いるので、宇多天皇というのも怪しいと、私は見ている。

本当にそうなのか、霊界のある目的を持ったウソなのか、それはわからない。

いずれにしろ、私と宇多天皇はつながっていると考えていい。



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 宇多天皇は藤原氏の圧力を排して、菅原道真を登用した天皇である。
当時は藤原氏の権勢が天皇をしのぎ、これが中国であったなら、禅譲のおきてに従い、藤原氏が日本国王にもなりえたのである。

そこで菅原道真は力を発揮、数々の改革をおこなったのだが、快く思わない藤原氏に左遷させられたのだ。

なんで関東に藤原氏がいるかというと、菅原道真の子供たちがみな関東に流罪となったのだ。
関東の菅原氏はみなその子孫である。

私の前世は源氏の嫡流であり、菅原氏とは関係があるはずはないと思っていた。

私の前世は源氏そのものであり、血塗られている。

平家も滅ぼしたし、その怨念はいまでも消滅していないと思う。

(実際私は平家とも因縁があり、数多くの平家の子孫たちとも出会った。それが私に源平の因縁深い、前世探りの要因ともなった)

私にはつねにいくさが付きまとっており、血塗られているといっていい。


貴族の前世があろうはずがないと思っていた。


しかし、それと裏腹に私の平安貴族趣味は、いまでも濃厚である。
自分の心の中に戦争指向型と、学問を追及するもうひとりの自分がいるのだ。

宇多天皇が血縁皇祖であるという事実を知っている以上、その関係上、菅原氏が頼ってくるのだなと最初は思った。

ところが事実はもっと不可解なものであった。


それともうひとつ、平将門にたいする私の愛着は、自分でもどうすることも出来なかった。

中学生のころ、「風と雲と虹と」という大河ドラマが好きで、一年間見ていた。

ただ、何となく、その当時の坂東開拓のフロンテイアが好きだった。

ところが13年前から、平将門が私にぐんぐん近づいてきたのだった。



私がお台場(フジテレビ)でバイク便の仕事をしていたとき、かなりなかのよかった同僚が免許証を見せてくれた。
それには茨城の猿島郡と書いてあった。
そこは平将門の発祥の地であった。


「こんどは平将門かよ?」私は思った。

私に近づいてくる人間は何がしかの縁があると、私は思っている。

「平将門か~~」なんか縁があるのかな~~っと、私は思った。

そのときはそう思った。
それ以前にも自衛隊のときにも菅原が近づいてきた。
やはり私といると、気が休まるようだった。

そして、今度の後輩、菅原だ。


縁があるとしか思えない。そしてそれとつるんでいるやつが、上野の男だ。

仕事のときに代々木の現場で危うく修羅場を演じそうになった。
あれ以来、あまり私は彼に近づきたくないが、当の本人は一歩引いて私に従順になった。

上野なので平将門の領域に近いのである。


そこではっと思ったのだった。

私はもしかして、平将門ではないのか?

血縁皇祖、宇多天皇、近づいてくる菅原氏、みな平将門に関係あるではないか?

菅原氏は平将門の乱の時に幕閣に加わっている。

みな藤原氏に失脚させられた一族なのだ。


簡単に言えば、私は菅原道真と平将門の前世を持っていることになる。

菅原道真は天皇制を守るため、藤原氏に対抗した。
そして左遷させられ、藤原氏打倒を誓った。そして、死して後、藤原氏の有力貴族を呪い殺した。

それは菅原道真にある種の実力があったと見るべきであろう。霊界を動かす力があったのだ。


しかしそれでは藤原氏の力をそぐことにはならない。

関東に平将門として、武士の軍事力を持つ者として、藤原氏追い落としを図ったのだ。


結果は後の歴史を見ればわかる。

さしもの藤原氏も武士団階級の勃興により、あらゆる権限を失い、零落していった。

最後は源氏の活躍によってその政治生命を絶たれることになる。

藤原氏の追い落としには、私のその後の前世によって引き継がれることとなる。


じつは私と宇多天皇との関係は、その後も続いていく。

宇多天皇から出生した宇多源氏が、源氏を助け、大活躍をするのである。源平合戦では佐々木高綱(宇多源氏)が戦陣を競い、平家打倒に尽力した。

平家は源氏政権を築く上で、なんとしても打倒せねばならない相手だった。

そして鎌倉幕府は源氏の手から離れ、平家である北条氏によって独占され、そして、源氏の血を引く足利氏によって滅ぼされた。


足利尊氏の強力な軍事力として、佐々木道誉(佐々木高綱の子孫)が活躍した。
尊氏の幾多の困難な時、常にその軍事力によって、窮地を救ってくれたのだった。

私の前世は足利尊氏である。

宇多天皇、菅原氏、平将門、佐々木氏、源氏、足利、
そしてそれを補佐した近江佐々木氏、すべてが一連の藤原氏追い落とし作戦の流れだった。

すべては今日の天皇の血筋を守るためである。


私にはそれらの数多くの血筋が絡み合い、すべてを成功に導いた。

そして、今、ヒトラーが絡み合い、かつての栄光を蝕み、滅亡に向かっていく。


これも運命――だれもとめることはできない。

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